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September 11, 2004

八木氏 辺野古レポートNo.5 2004.09.10

信州から沖縄へ行っている仲間からの「辺野古レポート」です。
マスコミが詳細を伝えない現地の様子を知ってください。

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No.5
04.09.10 2-1

 辺野古からメールを送るのも、今日で最後です。お付き合いいただき、ありがとうございました。
明日、帰国します(飛行機の席が取れれば)。

 今日も、防衛施設局の調査船「未来」がどこかの港から出航し、辺野古沖に登場しました。昨晩、ヘリ基地建設阻止協議会は、調査船が出港可能なありとあらゆる港をしらみつぶしに探したといいます(すげー)。それでも見つからなかった「未来」がどこからか現れたのです。

 同時刻、辺野古の沖から漁船数隻が出港、それぞれ船長のみの乗船だったため、ノーマークだったのですが、なんとそれらの漁船は「未来」のサポートに向かったことが明らかになりました。当局は、漁船を、あろうことか現地住民からチャーターしたのです。せまい地域のしがらみや困難な生活の中で、積極的に阻止行動に参加できないものの、基地建設を決して喜んでいない多くの漁民たち。そりゃ、そうでしょう。目の前の水平線が丸ごと基地になってしまうのですから。それが漁に良い影響を与えるはずはありません。そんな人々の頬を札束ではたき、「協力」させる。自分に替わって阻止闘争を行う人々と対立する立場に追い込む。

 前から分かっちゃいたけど、なんて奴らだ!

 それでも船を出しました。今日は昨日よりも高い4メートルの波。沖に出ている調査船に届く機能は無い小船でできることは、リーフ内で作業にかかろうとする同じ漁民の、見知った顔が操船する船を追いかけまわすことだけです。定位置にいさせないために、追い回す。相手は逃げる。接近する。見知った互いの顔が見える。それでも怒鳴りあう。そうした海上での行動の報告を受け、私は本当に、本当に  
     …  (すみません。言葉が浮かびません。) …

 結局、追い回しているうちに波が高まり、調査は中断されました。外海の「未来」が何を行ったかは調査中ですが、リーフ内の船は結局、1時間かけてブイをひとつ置いていっただけでした。昨日にひきつづき、実質的な工程の大部分を、阻止することができた、と言えるでしょう。

 現在、対処できていないのはリーフ外の調査船です。これを追尾し、調査を阻止するためには、現在のものより大型の船が必要です。
 しかし、漁民の中に、当局ではなく、我々への船のチャーターに応じてくれる方があらわれたそうです。新たな協力者。広がる仲間。これもまた、私には言葉が浮かびません。

 主要な場が、海上に移っているように思えるかもしれませんが 相手の持ち手を制限し、調査を実質上阻止し続けることが可能だったのは、辺野古漁港へ至る道から陸上作業用ヤードのエリアを、300人に及ぶ人たちが封鎖していたからでもあります。陸と海での阻止行動が連動して、着実に実を結んでいると思います。昨日は「着工」のアリバイこそ作らせてしまったものの、1日にブイを1~2個、置いていくようなペースでは、永久に基地建設は無理です。

 辺野古港湾への陸上からのアクセス阻止は、大きな役割を担っています。毎日、公安警察が人数と様子をチェックしています。こちらの弱体化を現認次第、突破にかかってくるでしょう。

 座り込みは正直言ってヒマです。地味です。何もなければ。その間に、周囲の人と交流する人もいます。ただ緊張の面持ちでじっと一点を見続ける人もいます。
 私ですか? 私はその中間くらい。しゃべったり、考えたり、緊張したり。風でゆるくなったテントの紐を縛りなおしたり。そして煙草を吸います。 
 また、組織やグループで来た人が、後輩たちに、これまでの歴史や現状を説明してたりします。
 今日の午後など、当局が「作業終了」を宣言していたため、騙まし討ちに備える程度で、比較的緊張の必要が少なかったからでしょうか。三線と太鼓にあわせ、歌い、踊る風景が、私のすぐそばにありました。そんな時は、本当に素敵な空間で、この闘いが終わっても(もちろん勝利して!)、こんな場が、あちことに出現すればいいな、と思えるものでした。いや、沖縄では、こんなのも、そもそも日常茶飯事なんでしょうか。

 「6日にも着手」の報を聞き集まった人々の中には、そろそろ自分の日常の現場に戻らなければならない時期にさしかかっている人もいます。私もその一人です。非常に気がかりです。機動隊をひきつれて現れるだろう当局との攻防の矢面にこれ以上、80過ぎたご老人を立たせることは、あまりに忍びない。
 ちなみに、先日3メートルの荒波をかきわけ、カヌーで調査船に肉薄したうちの一人は、齢80を数えるおばあです。そのために1年間、訓練を重ねてきたそうです。
す、すご過ぎます。「誰かとめてくれ!」と思ったりします。しかし、それができる資格を有するのは、基地建設をとめる力を持った者だけなのでしょう。ご本人は、「私は歳をかさねた分だけ、皆さんに比べて怒りも積み重なってるんだから、平気ですよ」と、確かに平気な顔でさらっと言ってのけました。すごい。尊敬。でも、哀・怒。彼女がいきるぶんだけ、比例して怒りを積み重ねなければいけない社会。彼女にそんな言葉を吐かせるようにしてしまった社会・その上にいる自分。

 12日には宜野湾ヘリ墜落事件に対する抗議集会があります。参加したい。それまでいたい。でも、おそらく、そこで聞くことになるだろう、私の知らない様々な事実と叫びは、更に私の帰宅を遅らせる誘惑に違いありません。

 気づいているかと思いますが、この数日の報告書の中で「テントでの座り込み」の主体を指す主語が、「彼・彼女ら」「多くの人々」「沖縄の闘い」といったものから「私たち」に替わりつつあります。確かに、ある瞬間に、2600日座り続けてきたお年寄りと、それを受けてずっと取り組んできた人たちと、その呼びかけに応じて集まった人々、また、沖縄に暮らす人々と日本から来た人々を、まとめて同じ「わたしたち」と感じる瞬間が何度かありました。それはそれできっと悪いことではないし、嬉しいんです。すごく。
 でも、ダメだと思うのです。そこに寄って(酔って)しまっては。移住して最後まで日常と闘いと、その結果その身に帰ってくるものを共にするならともかく。しょせん、私は他所から来て数日いて帰っていく「何もわかっちゃいないヤマトンチュ」のままであるのです。ならばどっかで、一旦、帰る時を決めて、そのことは確認されなければいけない、と思っています。

 なーんちゃって。単に闘いを中座するうしろめたさを正当化してるだけかもね。

 ともかく、やっぱ、私の第2ラウンドは松本なんですわ。そういうわけで明日帰ります。皆さん、今後ともよろしく。

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